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2006/10/24

老兵は死なず、ただ消え去るのみ

..........って、自分より年下のミハエルが老兵かよっ(^^;

Ms タイトルは奪還できなかったけど、ファステスト連発で鬼神の追い上げは見事と言うしかない。
あそこまでの速さを見せ付けてても、自分では「衰え」を感じてるわけだよなぁ。
つくづく凄いドライバーだと思うよ。
結局最後のレースは、もてぎのフォーミュラニッポンと日程が重なったせいでリアルタイムでは見られなくて、録画したものを見ることになったけど(実は引退表明をしたイタリアGPもそう)見終わったときの喪失感は言葉では表現できないものがあった。
「ああ、アイツもう来年はいないんだ」
って。

僕がミハエル・シューマッハーを初めて見たのは1990年のインターF3リーグ。
当時はマカオGPに参戦したドライバーたちを翌週の富士スピードウェイに集めて、全日本F3のドライバーと一緒に勝ち抜き戦形式のレースをやってたんだよね。

で、マカオでのハッキネンとの死闘を制した(まぁあの結末には色々批判もあるけどさ)シューミーも日本にやってきたわけ。
当時のドイツなんて、F1やってもスタンドは閑古鳥だし、F3だって殆どマイナーリーグ扱いで日本の雑誌でもレース結果くらいしか紹介されていなかったので、僕もミハエルがどれほどのドライバーかなんて全然知らなかったわけよ。
あのころF1を目指す若いドライバーは大抵イギリスF3に集結してたし、ダルマスやアレジ、ベルナールなんかの活躍もあって「これからはフランスF3の時代だ」みたいな雰囲気もあったからね。

ところが。
Aコーナーで予選を見てると、なんか物凄い勢いで突っ込んできて、信じられないスピードで旋回して100Rに向かっていくドライバーがいる。
しかも当時主流のラルトじゃなくて、最先端のフルカーボンモノコックだけどセッティングが難しいといわれてたレイナードに乗ってる。しかもエンジンは既に時代に取り残されつつあったSOHCのフォルクスワーゲンだ。
「なんだよあれ!誰だよあれ!」

それが1990年ドイツF3チャンピオンのミハエル・シューマッハーだったというわけ。

決勝でもストレートスピードに劣るエンジンハンデを凄まじいハードブレーキングで挽回して選抜レースをトップで勝ち残り、スティーブ・ロバートソンとの一騎打ちを制して優勝。
どこでレースしてようが、何に乗ってようが、本当に速い奴は何やっても速い、って事実をまざまざと見せ付けてくれた。

ちなみにこのスティーブ・ロバートソンってのは後に敏腕マネージャーとしてジェンソン・バトンやキミ・ライコネンをF1に売り込むわけだが、このときはまだ自分も将来を嘱望された若手のドライバーだったんだよね、F1には全く縁がなかったけどね。

その他、この年のインターF3には、ミカ・ハッキネンやエディー・アーバイン、オリビエ・パニス、ミカ・サロ、アレックス・ザナルディなんかも出ていたけど(アーバインが3位)、もうこの時点で僕の中では「この世代ではミハエルが一番」って。
だから翌年の菅生のF3000にスポット参戦していきなり2位だったときも、「次の富士は絶対行かなきゃ!」と思って駆けつけた。そしたら「ヨーロッパでテストに参加するから不参戦」だって。

このときはてっきり、メルセデスのCカーのテストだと思ってた。
でも実際には、シルバーストーンでジョーダンに乗ってたわけだ。

でもうその次にミハエルの姿を見るのはF1ベルギーGPのテレビ中継なのだった。
そこから先の活躍は今更ここで書くこともないよね。
でもこの年にオートポリスで開催された世界スポーツカー選手権の最終戦で優勝してる、って事実はあまり話題になってないんじゃないかな?残念ながら僕は見にいってないけど。

数字の上でも史上最高、前人未到の記録尽くしのミハエルだけど、人間的にもあそこまで勝利に貪欲で勤勉なドライバーは今までにいなかったし、多分これからも出てこないと思う。
まぁ、その貪欲さが何度も暴走して物議を醸すことになったわけだけどね。

貪欲さ、アグレッシブさ、ってことではセナも凄かったけど、彼は1989年鈴鹿の失格を巡ってFIA(当時はFISAかな)と揉めた辺りから、なんかレースに対する情熱が少し冷めてた、って気がして仕方がないんだよね。
ロータスで悪戦苦闘していた頃はもっとアツかった、って思う。

誰かがどこかで書いてたけど、ミハエルはフジテレビがF1中継を始めて20シーズンの中で、デビューから頂点を極めて引退するまでを全てリアルタイムで観続けることができた最初の存在でもあるんだよね。
でも正確には、デビュー前からフジテレビは採りあげていたんだ。
最初のインターF3を地上波で放送したのは、実はフジテレビだったんだから。

僕自身も、91~2006年の鈴鹿と、1994年と1995年の英田は全て行ったし、DEKRAやDVAGのキャップ被ってドイツ国旗担いでたこともある。
ぶっちぎりで勝ったいくつものレースも、アーバインのアシストで勝った1997年も、ハッキネンとの死闘を制してフェラーリに22年ぶりのタイトルをもたらした2000年も、全部良い思い出だけど、でも一番「凄いな」って思ったのは1998年だったりして。
あのときは惜しくもタイヤバーストでリタイヤしてタイトルはハッキネンのものになったわけだけど、ポールからエンジンストールで最後尾スタートになって、そこからの凄まじい追い上げには本当にシビれた。
インからアウトから、S字でもダンロップでもデグナーでもおかまいなしに抜きまくり、縁石という縁石は全部乗り上げて、クルマ振り回しながら駆け抜けるミハエルは最高にかっこよかったなぁ。

ミハエル、お疲れ様。そして、ありがとう。
ラウダみたいに気が変わってF1に復帰してくれたら大歓迎だけど、それはもうないのかもなぁ。
インテルラゴスの走りは「完全燃焼」って感じだったものなぁ。

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コメント

オートポリスの(数少ない?)目撃者です(笑)
インターF3も見たし、菅生のF3000も知っていたけど…
私の目は節穴だったらしく、それ程は注目してませんでした^^;
各雑誌も最初はそうだったよね。

投稿: fuji73 | 2006/10/25 00:47

そうそう>各雑誌
だからあの当時は「なんであの凄さがわかんないんだよ~っ!」って凄く思ってたし、パソ通上でも吼えてましたねぇ。

だけど、自分が取材する見になって思い知ったんですが、レースの取材って、パドックの中を動き回ったりプレスセンターでモニター見ながら記録つけたりで精一杯なことが多いので(少なくとも僕はそう)、なかなかコース脇まで行って走りを観察するとかはできないんですよね。

そのへんは、カメラマンさんのほうが判ってるんじゃないかと。

なので、レースリザルトに現れない部分が見過ごされがちになるのは仕方ないと最近は思います。

投稿: すえひろ | 2006/10/25 22:47

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